大学で安心する時代は終わったのかもしれない。

以前、私の大学生活に足りないものはなんだろうか、という疑問をエントリとして書いたわけであるが、その一部がやっと言語化できるまでに整理することができたので、文字として残しておくことにする。


すべての事例がそうであるとはいえないけれども、少なくとも私を取り巻く環境、つまり学科に足りないのは、学習内容の専門性であると思う。専門性のなさというのは、学部の中で学んでいるだけではなかなか気づきにくいものだと思う。事実、私は情報系の名前のついた学科に入学した最初の半年は、自分の学ぶ分野に対して何の疑問を持たずにいた。
半年経ち、情報処理の試験を個人的に受験するようになって、初めて学科で学んでいることの浅さに気づいた。基本情報の7つある分野のうちの一つ、そのさらに3分の1にも満たない内容で単位が取れてしまっている事実に戦慄した。
それだけではない。年配の方から見れば本当に信じられないと思うのだが、本来高校生の段階でクリアしていなければならない段階の基礎科目を、1年、あるいは2年かけてじっくりやっている現状がある。高校によって習熟度が違うのは事実だが、これはやりすぎである。これでは専門的な段階をじっくりやっている暇がない。

いってしまえば、独学のほうが大学の講義より専門的な内容まで突っ込めるという、とてもおかしな状況ができてしまっているのである。大学でしか学べないような専門的な内容がないのだから、もはや大学へ行く意味が、単なるブランド志向によるものでしかなくなっている気がする。


後1年で、私は就職活動をはじめなければならないが、そのときに、あるいは卒業するときに、学部学科の名前にふさわしい技術者になっているかを考えると、危機感を抱かざるを得ない。私が常に用法処理の技術を受け続けているのも、もしかしたらその危機感を軽減するために無意識に取った行動なのかもしれない。もう「大学でしっかり講義を聴いて勉強しました」では、就職のネタにすらならないのではと思う。大学を出るから就職には困らないという思考停止に陥ることなく、今のうちから意識を持って行動しなければ、まともな社会人になれないかもしれない。