ミラー

一般に、鏡という物体は「左右を反転させるもの」という説明をされることが多い。小学校の理科などで、このような説明を先生から受けた人も多いのではないかと思う。実際私もそうだった。
小学生であった私は、その説明に違和感を覚えた。私は鏡の性質を、左右反転させることであると捉えていなかったからである。


大きな姿見の前に自分の姿を映すという思考実験をしてみることにする。ここで、自分が左手を挙げて見ることにする。鏡の向こうでは、私から向かって左側の手を持ち上げて。当然のことである。左手を挙げれば、左側が挙がる。左右反転などしていない。


私はそのような反論を担任の教師にぶつけたことがある。すると、教師はこのように説明した。


自分がその姿見から数歩離れ、自分と姿見の間に友達を挟んで見ると、友達はこう言う。「実像は右側の手を挙げているのに、鏡の中の像は左側の手を挙げている」


私は納得できなかったが、授業をこれ以上中断するのも気が引けたのでおとなしく引き下がった。後になって考えると、ひどくナンセンスな受け答えである。友達から見れば、私の左手は右側に見えるだろう。そして、振り返って姿見を覗けば、左側の手を挙げた像がある。でもそれは、私の左手が対面する他者からは右側に見えるということであって、鏡の性質を説明することになっていないからだ。
鏡というものは「映る像を実像と面対称にする」のであり、面と視線が直行していれば、その視点からは前後の反転になるだろうし、横から鏡を覗けば、左右対称になるだろう。
つまり、姿見の前の自分と、それを横から見る友達とでは視点が異なり、見え方も全く異なっているのだから、それを「左右の反転」とだけで済ませるのは、おかしいことではないのか。


昨日放送されたクイズ系のバラエティ番組で、「鏡が左右を反転させるが、上下を反転させない」というフレーズを聞いて、小学生のころの違和感が、今になってようやく言語化できたのである。
このような形で、視点や考え方が固定観念化してしまった例など、山のようにあるのだろうが、それで新しい考え方や楽しい発想の芽が摘まれてしまっているのだろうなぁと考えると、とても悲しい気持ちになる。