秋葉原という場所がさす意味

私がこんなエントリを書いている間にも、一人、また一人と被害者の方がお亡くなりになっている。無差別的な犯行であったから、被害にあわれた方は本当に気の毒としか言いようがない。ご冥福をお祈りします。
さて、私がこの事件を知ったとき想像したのが、マスコミはこの事件についてどのような報道をするかという事であった。事件現場は秋葉原歩行者天国で起こっていて、これ程の凶悪な犯行。ニュースでコメンテーターが、オタクやゲームなどのメディア批判とごっちゃにして事件を語る光景が、ある程度浮かんだ。
Web上のいくつかのコミュニティに「ニュースのリポーターに、犯人がアニメやゲームなどを所持していなかったか執拗なまでに尋ねられた」という文章があった。それに、これは私の想像だが、下田市にある被疑者の自宅へ向かって、周辺住民に同じようなことを尋ねたり、実際に部屋にそういうモノがあるかを調べたりというのは、既にされているのではと思うのである。
秋葉原というキーワードに絶対的な拒否感を示す人も少なくない。おそらく、この事件も、実際に秋葉原という場所で起こってしまったというだけで、強引なこじつけが行われてしまうのではないだろうか(実際に、秋葉原でない場所で起きた事件ですらそのようなこじつけが見られる現状を見るに、おそらく確実にあるだろう)。
このような悲劇は二度と起きてほしくない。そう本当に思うなら、安易なオタク批判などに繋げるのではなくて、なぜこのような事件が起きてしまったのか、なぜ秋葉原だったのか、その原因を慎重に特定しなければならないと感じる。