ワタシの「核」は

それはもう、意識すらできないほどの長い時間をかけて、ワタシという存在は出来上がっている。様々な物を見て、様々なことを聞いて、色々な本を読み、音楽を聴き、人と交流して、それらが一つになって、自分という存在はできている。
食べ物を食べたら、それが自分の血や肉になるように、読んできた本やサイト、聞いた話は自分の一部になっている。それほど意識はしないと思うけれど、何かを見聞きするたびに、自分は自分を再構成する。


何にも染まらないで生きる、ということは、この世界ではあまりにも難しい。


いや、むしろその「何にも染まらないで生きたい」という思考も、ワタシではないなにかから与えられた価値観によるものかもしれない。その何かに染まってしまった末に出た思考なのかもしれない。
かといって、何にも影響されないように、いっそのこと目と耳を縫いつけてしまえばいいとすら思うが、きっとそれは思考停止にすぎない、と、ワタシの中の、何かから与えられた価値観がそう囁く。
今の自分の生き方は本当に自分が望んだ生き方なのかがとても不安だ。今の自分の思考や目標は、一体どんな本から与えられて、誰の言葉から出来上がったものなんだろう。周りの色々な情報にさえぎられて、ワタシは自分自身が心から望むことが見えなくなってしまったのだろうか。ワタシをワタシたらしめ、一貫性、同一性を与えているものは本当にワタシなのだろうか。