感情処理回路

最近、自分の感情と、自分の表向きの振る舞いがかみ合っていないと感じる事が多くなった。笑っても、怒っていても、常にそんな自分を冷静に、あるいは無表情に見つめている自分という存在もいて、どちらかというと、その無表情なほうが自分の大部分を占める方なのでは無いか、と感じるのである。
そして、その自分の上に、皮をかぶっている。その皮が、笑うという感情を表現したり、共感するふりをしたりするような感じである。しかも、いつ笑顔にするべきか、とか、どういう立場を取ればいいか、というのが、本当の自分の中で機械的に判断されているように思う。まるで回路でも組んであるかのように。
そして、本当の自分の感情は隅っこへ追いやられる。人の話に対して、本当はそう思わないのに、機械のココロの方は、頷いておけ、という指令を出し、私の皮は頷いている。話しかけられたくない時に話しかけられて、疎ましいと感じているのに、笑顔にしておけ、という命令が勝手に出されて、皮は笑顔を作る。そんな、冷静にどうあるべきかを分析する機械的な私と、皮の下にある私は幾度となく衝突し、悩むことになる。
日本人にとって、本当の感情を表に出さないことが美徳である、という意味の文章をどこかで読んだような記憶がある。きっと、この場合はこういう振る舞いをしていればいいんだ、という回路が、無意識に作られ、日本人の皮を自在に動かす事によって、こういう文化や思想(そんな大層なものではないかも知れないが)ができあがったのだろう。そうなると、私も日本人色に染まったというべきか。