冒険の書
愛用していたニンテンドーDSが、Rボタンが利かなくなってしまったので、修理に出した。だましだまし使えばなんとかなりそうだったが、しばらく使えなくてもいいやと思い、さっさと修理に出した。
昔だったら、ゲーム機が手元に無いのが嫌で仕方が無いほどのゲーム廃人だったはずなのに、いつの間にかその熱が冷めてしまっているようだった。スーパーファミコンなんかに熱中してたころは、もっと「ゲームをする」事にもっと、ときめきのようなものを感じていたと思う。
ゲームカセットの端子の接触が悪くて、なかなか起動しない時なんかは、あーあ、これで次起動できなかったらこんなソフト売っちゃおうかなー、などと呟きながら電源をいれると、心なしかうまく起動しやすい気がしたり、今では考えられないくらい大きく、また熱くなるACアダプターに驚いていたり、そんな事を思い出す。データが消える音を聞いたり、端子部分に息を吹きかけたりという経験は、多くの人が経験していると思う。スーファミは、そんな愛着のある機械だった。
もちろん、DSに愛着が沸かない訳ではないのだけれども、あのころとは違うような気がする。その違いというのが、私が成長して行く過程で失われてしまった何かのせいであるなら、ちょっと寂しい事である。