数秒
それは、私がまだ小学生のころであった。
私が住宅街の狭い通りを歩いていると、道の先から大きな音を立てて、よくある工事現場のダンプカーがやってきた。ダンプはものすごい速さで私の横を通り過ぎて行く。そして、前日の大雨による水たまりの上を走り、私はなす術もなく水を頭からかぶる。どうにも我慢ならない。私がダンプを止めようと何か言おうとした。
そう、その時だった。
私がダンプの方を向いた瞬間、ダンプはその車体を軋ませながら急ブレーキをかけ、完全に止まる前に何かとぶつかった音がした。すぐ目の前の、交差点だった。言いかけていた言葉を、完全に飲み込んでしまった。何が起こったか理解できない私は、その数瞬後に発せられる、女性の叫びを聞く。私は急いで、その声の元、私のいるところからダンプを挟んで反対側に出る。そこで私は見てしまったのだ。
右前輪のやや後ろに倒れている、頭をつぶされた子供を。
自らの血に濡れた服装からは、その主が男の子であったことを思わせた。悲鳴を上げた女性は、その母親なのだろう。半狂乱になりながら、物言わぬ、息子だったモノを抱き上げる。そして、それを抱き締めると、かつての首だった辺りから血が新たに流れてくるのだ。駆けつけた救急隊員がそれを話すよう説得するまで、彼女はそれを繰り返した。まるでその血を体に浴びるように。
幸い目撃者は私や女性の他にもいたので、私は警官に親を呼んでもらい、一緒に帰宅した。ここから先は覚えていない。あまりにも事故のインパクトが強すぎて、前後の記憶が霞んでしまったのだ。実際、なぜその時私はその通りを歩いていたのかということさえ覚えていない。
たった数秒で、私の心に計り知れないほどの衝撃を与えたこの出来事は、翌日学校を休み、家にいる時に読んだ新聞に小さな、本当に小さな記事になっていた。
原因がダンプだけにあるわけではないと思う。男の子が親の手を離れて、交差点の右側から飛び出してしまったのかもしれない。ただ、直前にすれ違った私を見落としていたこと、あるいは、水しぶきを上げてしまうのを避ける配慮なりができなかった、しなかった所を考慮すると、やはり運転手が、100%ではないにしろ防げた事故の、最後の引き金になったことは否めない。
運転免許を取れるこの年になって思うのだ。ある技術がオーバーテクノロジーかどうかは、時代が決めることじゃない。その人自身のキャパシティを越える物はすべてオーバーテクノロジーなのだと。当たり前のように使われている自動車も、使い方次第で、たった数秒で人を殺すのだ。